土地購入からの賃貸経営スタイル「土地からオーダーメイド賃貸」

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センチメンタルジャーニー~室蘭編4~

 

ホテルのロビーのソファーで 話しこんでいるうちに喉が渇いてきたので、ホテルの自販機コーナーで缶コーヒーやペットボトルのお茶を買いこみ、母のきょうだいとの積もる話は続きます。

 

家業の鮮魚店で店売用の鮮魚の加工をしていた、一番働き者だった2番目の姉は体をこわし、最後は9年間病院で寝たきりだったそうです。亡くなったのは聞いてはいましたが、こんなに長い入院生活を最後におくっていたことを聞いたのは初めてだったので、さぞかし無念だったと思います。いつも室蘭駅の商店街の方の店で長靴姿で魚をさばいていたやさしいおばでした。

 

弟の奥さん(とても美人)は、50を過ぎたころ難病にかかり余命1年といわれ、室蘭ではみれる医者がいないため、札幌中の名医を調べ探しまわって札幌まで通い、余命宣告を受けたあとも7年間一緒にいることができたそうです。やるだけのことはやったので後悔はないと言っていました。
東京で所帯をもっている子どもたち (昔一緒に遊びましたが大きくなってイケメンになった子どもたち、うち一人はモデルの誘いもあったそう) は一人になってしまった弟を心配し、東京で一緒に住まないかと言ってきているけど、鮮魚店の経営をやっていただけあって、魚はさばくし簡単な料理はできるし掃除や洗濯も苦じゃないので、一人でも不自由はないといって断っているそうです。

 

鮮魚店の商売も室蘭市内のほか洞爺湖や登別のホテル、料亭を相手にピーク時には年商10億以上は稼いでいましたが、かつては「鉄のまち」で栄えてきた室蘭が急速に衰退し、18万いた人口が8万5千人と10万人近くも減り、洞爺湖や登別の観光業の落ち込み、イオンなど大手資本スーパーの台頭もあり、一気に経営が厳しくなってきました。

 

弟はコンサルをつかって10年後のシミュレーションをし、このままの状態で継続していくと赤字に突入して倒産するという判断をして、室蘭工業大学の学生向けの アパートを建て不動産投資をするなど他の事業の多角経営で現状打破を模索しますが、会長である長姉(東北大学の女性一期生であり、きょうだいのゴッドマザー的存在でもある)は「うちは魚屋、本業に専念すべき、他の事業に手を染めるべきではない」と、弟がいくら現状と見込みを説明しても首をたてにふらず、平行線をたどりました。

 

ゴッドマザーである長姉のひとことでそのまま事業を継続し、巨大資本スーパーイオンに対抗するために、みな会社の役員であるきょうだいからお金を集めて事業を拡大しようと設備投資をしたりして、弟のいうところの「最後の悪あがき」でさらに経営が傾いていったそうです。
最後には弟が最悪の事態を回避すべく、奔走し、(銀行、取引関係の交渉、閉店整理、大量の大型業務用冷蔵庫の処理など、やることが煩雑で山積みだったそうです)赤字になる前に 事業の撤退をし、きれいに整理したそうです、今から7年前のことでした。
他のきょうだいたちは家業がまだまだいけると思っていたので、社長である弟の独断で勝手に店を廃業にしたと考える者も多く、このことできょうだいたちの仲も少しこじれてしまったようです。弟は今でもきょうだいで会うとその話を蒸し返されるのがイヤなので、あまり会わないようにしているとのこと。
でも、弟が言うにはあと2年早く決断をして事業を撤退していればかなりキャッシュを残すことが出来たということでした。
「おれが考えていたよりも室蘭が衰退するスピードが5年も早かった」とのこと。

家業を辞める時のタイミングを見極めるのは なかなか 難しいと言えます。

 

しかし、廃業して何年も経っているのに、長姉と母の弟が会長、社長とまじめに普通に呼び合っているのがおかしいです。きょうだいたちはみな今でも長年の家業の習慣で朝4時起床、夜7時就寝(!)の生活だそう、超朝型です。

 

と、2時間ほど話し込んでいたら、チェックインの時間をフロントの人が知らせてきました。そこでちょっと話を中断し、たくさんの荷物を部屋に入れて下のロビーに戻ると、きょうだいたちは帰っていなくなっていました。
えっ?!、これで再会はおしまいなの?

つづきます・・・!

 

(のげ)

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閉店してしまった室蘭駅近の中央町の自宅兼店舗
現在は銀行の所有になっています
小さい時はとても大きな店に思えましたが意外に小さかった?!

 

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店名もうっすら残っています

 

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ビジネスホテルの和室 保養所のようなお部屋です 意外にくつろげます

      2018/02/23

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