上野桜木「あたり」訪問
上野桜木「あたり」に行ってきました。


歴史と由来
上野桜木一帯は古くは忍ケ岡と呼ばれ、江戸時代より明治の中頃まで、寛永寺の境内でした。東叡山寛永寺は江戸城の鬼門、北東を守るため、寛永5(1625)年に建立され、今の上野桜木、上野公園、不忍池一帯を擁する大伽藍を誇りました。徳川将軍家の菩提寺であり、境内に沢山の桜の木を植えたため江戸の名所となり、今も「上野のお山」と親しまれています。
慶応4(1868)年の上野戦争、薩長軍と彰義隊の戦いで多くの堂宇が失われましたが、明治6(1874)年に丘の中程は上野公園として博物館や動物園、芸術大学を擁する芸術文化の杜となり、丘の東端部は上野桜木町となって、上野や日本橋の商店主や事業主、東京美術学校や音楽学校(現東京芸大)に関わる芸術家や作家が居を構える屋敷町となりました。近代東京の最初期の田園都市住宅地のひとつと言えるでしょう。

上野桜木「あたり」は、その一画にある昭和13(1938)年築の三軒家です。塚越商事株式会社創業者一族の塚越家により、自宅及び貸家として建てられました。塚越商事は明治33(1900)年に日本橋浜町で創業した金融・不動産運用の会社で、今も日本橋室町で事業を営む老舗企業です。
塚越家は大正12(1923)年、関東大震災の被害がなかった下谷区上野桜木町36番地の家に入り、一旦麹町に移転しますが、塚越家が出た後の上野桜木の家には昭和6〜9年、作家の川端康成が住まいました。その後、隣の谷中斎場の跡地とあわせて昭和13年に今の三軒家が建てられました。
3棟はいずれも漆喰塗りの洋室と和室の座敷と専用庭のついた戸建住宅で、2階にも座敷があります。台所はタイル張りの流しやガス台を備えた当時の近代的なものでした。1号棟は洋風の装飾のついた扉や化粧梁を見せる天井などに華やかさが感じられます。2号棟は庭に向かって開ける窓越しの景色が魅力です。近年は外国人のシェアハウスとして使われました。3号棟は、茶道や骨董を趣味とした塚越家の自宅として、炉を切った茶室座敷のある風流なつくりです。先代社長の塚越龍司氏は昭和22(1947)年にこの家で生まれ、昭和43(1968)年まで住まい、その後は江戸千家のお茶の先生が茶道教室を兼ねて住まわれました。
塚越家は谷中霊園に創業者一族の墓地があり、昭和39年、颱風で傷んだ谷中霊園の桜に替えて、桜苗木400本を寄贈されました。今私たちが谷中霊園の参道で季節ごとの風情を楽しめる桜並木はこの苗が育ったものです。
上野桜木あたり 再生の目指すもの
平成24(2012)年、塚越商事は、一時、建替えや駐車場化も考えましたが、テレビ番組のロケ活用や、NPOによる歴史的建物の活用事例、昭和の貴重な家を自ら活用したい人々との出会いを通して、先祖代々引き継がれた家土地を、地域コミュニティの中で活かしていくことを決めました。
3棟はいずれも漆喰塗りの洋室と和室の座敷と専用庭のついた戸建住宅で、2階にも座敷があります。台所はタイル張りの流しやガス台を備えた当時の近代的なものでした。1号棟は洋風の装飾のついた扉や化粧梁を見せる天井などに華やかさが感じられます。2号棟は庭に向かって開ける窓越しの景色が魅力です。近年は外国人のシェアハウスとして使われました。3号棟は、茶道や骨董を趣味とした塚越家の自宅として、炉を切った茶室座敷のある風流なつくりです。先代社長の塚越龍司氏は昭和22(1947)年にこの家で生まれ、昭和43(1968)年まで住まい、その後は江戸千家のお茶の先生が茶道教室を兼ねて住まわれました。
塚越家は谷中霊園に創業者一族の墓地があり、昭和39年、颱風で傷んだ谷中霊園の桜に替えて、桜苗木400本を寄贈されました。今私たちが谷中霊園の参道で季節ごとの風情を楽しめる桜並木はこの苗が育ったものです。
上野桜木あたり 再生の目指すもの
平成24(2012)年、塚越商事は、一時、建替えや駐車場化も考えましたが、テレビ番組のロケ活用や、NPOによる歴史的建物の活用事例、昭和の貴重な家を自ら活用したい人々との出会いを通して、先祖代々引き継がれた家土地を、地域コミュニティの中で活かしていくことを決めました。

この頃より、塚越商事株式会社のもと、NPOたいとう歴史都市研究会と建物の活用を願う人々の連携で塚越家の三軒家を活用するプロジェクトを立ち上げ、「上野桜木の土地の文脈、暮らしの文化を活かす」、「地域の子どもや大人、お年寄りが親しめる」、「暮らしに密着した食文化、生活文化を支える」、「地域の魅力を発見、発信する」、「手作りの文化や丁寧な暮らし方に共感できる」、「各地の人、海外の人と交流する」ことなどを目標に、入居する住人・店舗・事務所メンバーを募り、事業計画を立て、上野桜木塚越家三軒家の再生に取組んできました。上野桜木に培われた丁寧な暮らしを呼び起こし、また生み出し、一帯に広がることを願って「上野桜木あたり」の名を付けました。

平成27(2015)年3月、「上野桜木あたり」は、天然酵母のビアホール、手作りパン、塩とオリーブオイルのお店とヴィンテージのアパレルショップ、現代アートの事務所、建築家の住居などが集まる、複合施設としてオープンします。コミュニティ活用や様々な手作り文化、食文化、芸術文化の発信・交流の場になる「みんなのろじ」、「みんなのざしき」がまちと各家や店舗をつなぎます。

ここは、入居の店舗や事務所・住人だけでなく、地域の方、訪れる方が自ら企画を立て、発信できる場になります。路地でのマルシェ、手作り市、座敷でのヨガや囲碁教室、子育てやお年寄りの交流の集いなど、アイディアをお寄せください。ここは上野桜木あたり、みんなで育てる暮らしの場です。
(Webサイトより引用しております)

岡村 尚人