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センチメンタルジャーニー~室蘭編2~

 

室蘭へは登別から室蘭港行きの路線バスに乗り約30km、1時間40分あまりです。
バスは36号線の海沿いの道を走り、たくさんの停留所で停まり、客を乗り降りして進んでいきます。
わたしたちは一番後ろの座席に座り、乗り降りを見てましたが、バスは終始人が少なく、お年寄りが多い感じです。
いよいよ室蘭です。
私はバスが室蘭に近づくにつれテンションが上がってきましたが、前の席にいる母に「ほら、室蘭近いよ、もうすぐだよ」と水を向けてもテンションが低く、むしろちょっとイラついている様子です。
ようやく、終点の室蘭港の少し手前、「室蘭観光協会」というバス停で降りました。

 

「室蘭」の語源は、アイヌ語の「モ・ルエラニ」という言葉がもとになっており、「小さな・下り路 」という意味です。室蘭港を中心にすり鉢状の地形をしており、名前の表すとおり、とても坂道の多いまちです。
室蘭は明治後期に日本製鋼所や新日鉄住金(当時は新日鉄)の工場が設立され、「鉄のまち」として発展し、東北・北海道を代表する重化学工業・港湾都市となりました。最近では、夜の工場群の景観は「工場夜景」として注目を集め、工場夜景を観るナイトクルーズなど、新たな観光資源になっており、「全国8大工場夜景都市」に参加しています。
室蘭近海はイルカ・クジラなどの海洋哺乳動物に出会える機会もあり、「イルカ・クジラウオッチング」をすることができ、ツアー (6月~8月の期間のみ運航)も組まれています。
(ウィキペディアよりまとめ)

 

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室蘭が北海道の南側の先端にあることがわかります

 

バス停を降り、目の前の室蘭観光協会の中に入り、情報収集します。
ここはかつて室蘭駅舎だった建物です。
中は広く、座るところにはストーブがあり、室蘭駅の歴史をたどるコーナーもあります。
そこの窓口にいき、むろらん市内案内図、中央町付近案内図、飲食街マップをもらいます。
中央町付近案内図には「室蘭は明治5年に開港された、北海道では最も古く栄えてきた町です」とあります。資料のラックをみると、色んな種類の観光案内が作られています。室蘭のPRに力をはいっています。

スタッフ(室蘭市の職員)はそこそこいるのに中の人は少なく(観光客はわたしたちしかいない)ヒマなせいか、時間をたっぷりかけて 親切に応対してくれます。
観光案内のほか、母の家の場所を調べるため、住宅地図もコピーしてもらいます。
町名を伝えると、町が載っているページを全部コピーしてくれました。
4枚の A3 のコピーをセロテープを借り、つなぎ目を留め、1枚の地図にしました。
町内の地図を目を皿のようにしてみると、母の実家が見つかりました。
蛍光マーカーを借りて、しるしをつけます。
仕事柄、地図は見慣れていますが、結構大きな敷地です。

 

 

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室蘭駅旧駅舎の建物 今では観光案内所となっています

 

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展示のコーナーには当時の看板 時代を感じます(高倉健がでてきそう)

 

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当時のプレートも展示されています(鉄オタだと興奮するんでしょうか)

 

母は姉と弟に連絡し、室蘭に着いた旨を伝え、どこか喫茶店とかで会えないかと聞くと、弟は室蘭にそんな気の利いたものはない、という返事。
よって、わたしたちの泊まっているホテルのロビーにお昼過ぎに来てくれることになりました。
ようやく、待ち合わせ場所と時間も決まり、情報収集もできたので、荷物を持ち、泊まるホテルに向かいます。
室蘭観光協会から300mほどのところにホテルはありました。
保養所みたいだなと思い、フロントにいくとまだ時間が早いので、チェックインは出来ないとのこと。
部屋に入れないのでフロントに荷物をあずけ、前金制ということなので宿泊料金も払います。
重い荷物から解放され、ホテルのロビーのソファに座り、室蘭観光会館でもらった室蘭の観光案内やロビーに置いてある新聞を読んだりして待ち時間を過ごします。
1時間後には、いよいよ母のきょうだいと28年ぶりの再会です。

 

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まるで保養所のような室蘭のホテル

 

 

(のげ)

      2018/01/27

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